横尾恵美プロフィール
初めまして、えみママです。
私の自己紹介とこの事業を始めるにあたっての思いを書いていきます。
私は今は福島が大好きです。
そう思えるようになったのは、東京に出て客観的に福島を見ることが出来たからだと思っています。
生い立ち
1983年、福島県二本松市で生まれ、高校卒業までの青春時代を二本松で過ごしました。
この時の私は、「東京に行きたい」正直それしか考えていませんでした。
とりあえず、東京の大学に入りたい。そう思い受験勉強をしていました。
その頃は、正直「福島は嫌い」でした。
だいたい、素性が分ってしまう狭い田舎、、
歩いている人は、だいたい知り合い。。だいたい家族の同級生とか。。
友達の親も、自分の親みたいにいろいろ言ってくるところ、、
上げたらきりがないですが、とにかくここから出たい。。
そう思っていました。
高校卒業後、上京
念願叶って、なんとか東京の大学に入ることができ親元を離れての暮らしが始まりました。
都会の希薄な感じが新鮮で、誰も私が「福島出身の横尾さん」とわからない感じが嬉しくてたまらなかったのを覚えています。
ただの若い女の子と見てもらえ、恰好や話している内容だけで評価してもらえる環境でした。
でも、そこで今まで家族や学校に守られていたことも知りました。
全て自分の責任でした。
自由の裏には責任がある、今まで全くピンときていなかった言葉がしっくりきました。
学生時代に調子に乗って居られるのも、親や学校合ってのことなんだな。
そんな風にも思いました。
東京で就職
大学を卒業し、大手エステサロンに就職しました。
仕事を始めてからは、より家族の有難みを感じるようになりました。
友人の親も、私に愛情を注いでくれていたことに気が付きました。
福島でたくさんの方に愛情をかけてもらって育ってきたんだな。
そんなことも実感しました。
たまに福島に帰ると、そこには変わらない風景があって、いつもの顔ぶれがあることに安心したのを覚えています。
エステサロンの仕事は正直大変でした。
技術を身につけながら、お金を稼いで1人暮らしの家賃を払う。20代前半の女の子には容易なことではありません。
今でこそ、働き方改革と言われていますが、当時の美容業界は終わってからの勉強会が当たり前で、毎日21時までの業務が終わってから勉強会があり、終電に飛び乗る毎日でした。
帰りは24時をまたぎ、帰っては寝るだけ。また次の日8時には出社。
そんな生活でした。
若かったので、なんとかやれてはいました。
その後、美容サロン立ち上げると、声をかけてもらい、店長として渋谷の美容サロンを任されました。
従業員の女の子も5人いましたので、店長として売り上げをあげなければいけないプレッシャーは相当なものでした。
必死で売り上げを作る毎日、満身創痍でしたが、やりがいはありました。
お店の広告作り、従業員教育、新店舗オープン準備、技術講師。
たくさんの経験をさせてもらいました。
とにかく必死に、売り上げを上げるにはどうしたらいいか。
就職してからは、そればかり考えていました。
結婚後、東日本大震災
その頃、ご縁あって結婚しました。
主人は福島県郡山に住んでおり、遠距離のまま結婚し、別々に暮らしていました。
この時も、結婚して家庭に入ろうなんて考えたこともなく、福島に帰ろうとは全く考えていませんでした。
いつか主人が東京に来ればいい。。そんな風に思っていました。
この時の私は、もちろん、男性と対等だと思っていたし、対等に仕事をしていました。
東京でバリバリやってる、それが自分のアイデンティティーの1つでした。
そんな中、東日本大震災がおきます。
私は、当時東京渋谷のサロンで勤務中でした。
そして、携帯で福島が大変なことになっている状況を知ります。
主人にも、親にも連絡がつかず、全く福島の様子が分かりませんでした。
その後、原発が爆発します。
主人は実家の高崎に避難すると連絡が入り、親はパニックになっていました。
家族がこんな状態になっている中、私は何もできない。
東京でバリバリやっている事は、こんな時何の役にも立たない。
自分のアイデンティティーが崩れたような気がしました。
妊娠
震災が起きてすぐ、長男を妊娠していることがわかりました。
子供は、まだ先かな。
そう考えていたので、衝撃でしたが「家族は一緒に住んだ方がいいよ」
そうお腹の子が言ってくれているように感じました。
もっともっとお店を大きくしていきたい、店舗を増やしたい。
そんな夢が沢山ありましたが、キッパリ辞めて福島に帰ることに決めました。
福島県郡山市で子育てスタート
震災の年の10月に郡山市に引っ越してきました。
福島県は実家ではありますが、郡山は初めての土地でしたので、初めての土地での子育てが始まりました。
今まで、男性と同じ。
そう思って働いてきましたが、妊娠、出産を経て自分は女だったということを、痛感させられました。
子供が出来た。そう分かっても主人の体は何一つ変化しないのに、自分の体は急激な変化が訪れ、お腹は大きくなるは、足は痛い、腰も辛い。
自分の体の変化に、気持ちが追い付くのがやっとでした。
そして子供が産まれてからは、我が子と向き合う毎日。
初めての土地で知り合いもいない中、慣れない子育て。
これだけでも辛いんですが、
1番辛かったのは、仕事を辞めて、社会から切り離された喪失感、孤独感でした。
自分はもう何も出来なくなってしまった。
就職してから、売り上げばかり考えていた私は、売り上げがない自分がもう価値のない存在、自分にはもう価値はない。
そんな風にまで思いました。
正直この時は、子育てを楽しいとは思えませんでした。
子育てが楽しいと感じれたのは、育児サークルに入り、ママ友もでき、人とコミュニケーションが取れるようになって、自分に役割が出来た時でした。
社会とつながれている、徐々にそう思えるようになり、気持ちにも余裕が生まれました。
福島、子供への思い
小さい我が子と1日中向き合う生活の中、やはり原発事故の影響は大きいものがあり、
「この子が大きくなる時、どうなっているんだろう」
そんな不安が常にありました。
子供達には、1度は福島から出て欲しい。そう思っています。
客観的に福島を見ることが出来るからです。
しかし、今、福島出身と言ったら、どんな反応をされるのだろう。
まだまだ、放射能の事も理解が進んでない中、子供達は「福島出身」と胸を張って言えるのだろうか。
子供達が自分の元から巣立って行った後、親に出来ることは少ないと思います。
今、福島の子供達に出来ることはないか。
そう考えた結果、福島の普通の暮らし、豊な自然を発信していこう。
必然的に、今私がやるべきことが出てきました。
商品開発
福島の普通を発信するためには、何か商品が必要だ。
自分のエステティシャンの経験も活かせて、福島の畑で作った何かを販売していく方法がないか。
考えた結果、福島の畑でヘチマを育て、そのヘチマ水を配合した化粧品を作ればいいのではないか。
そこから、コネもなし、商品開発経験もなし、パソコンだって大の苦手。
そんな私の挑戦が始まりました。
まずはヘチマの種を植えるために、畑を耕し、
化粧品に加工してくれる業者を探し、
ラベルデザイン、容器、、
決めなければいけないものが、たくさんで困りました。
こんなに大変なんだ。。正直完成しないかなと感じた時も多々あります。
そんな時に助けてくれたのが、ママ友である主婦の皆さんでした。
こんなデザインできる方いないかな。
そう聞いていたら、うまく繋がり、段々と商品が形になっていきました。
主婦の力だけで、1つの商品が完成しました。
この時、主婦は今現在は「主婦」ですが、それまで、第1線でプロフェッショナルとして活躍し、経験も知識もある方達。ということも知りました。
販売促進
さぁ、商品を作ったはいいが、どうやって売ろう。。
そんな時も主婦の皆さんが助けてくれました。
商品を使った方が、自分のSNSでシェアしてくれたり、拡散してくれました。
市場にない商品は、まずお客様に知ってもらわなければいけません。
怪しいものは、まず買ってもらえません。
そこにSNSでの口コミは、友人である方への信頼があるので、すんなり情報を受け入れてもらえる利点がマッチングしたように感じました。
実際に購入に繋がりやすいのは、SNS上での拡散でした。
楽天市場にも出店していますが、モール型のショップは知名度のない商品を売るのは難しいです。
もちろん、成功している方もいますが、ネット上では検索してもらわないと、商品が出て来ません。
商品名が分らなければ、検索できません。
上位表示の商品に埋もれ、商品のページを見てもらう事もできません。
広告費を莫大に使って、宣伝できる大手には可能ですが、私のような個人は到底無理な話しです。
そこで、主婦のSNSが大活躍なのです。
「しゅふコミ」スタート
この主婦のSNSを使った施策は、私の商品以外にも使えるのではないか。
そう感じました。
商品を作ることから、販売促進まで全てを主婦の力で行えました。
これは、主婦も事業さんも一緒に、得意な人が得意な分野を担当し、協力できる。
そんな仕組みがあったらいいのではないか。
それが「しゅふコミ」です。
福島の商品を広めたい
アルモ化粧品を作ったおかげで、いろんな方と出会うことができました。
同時に、福島には沢山の、素晴らしい商品があることも知りました。
6次化商品として、農家さんが加工品を作る。
そんな機会も増えていますが、販売促進は?周知は?ネット販売しているの?
ほぼ、そこまで手が回らない。そんな声も多く聞こえました。
もっともっと、福島の商品を全国にアピールしなくてはいけない。
そこで、主婦の力が活かせるのではないかと考えました。
コネも一切ない、主婦でもありがたいことにネットで物が売れる時代です。
インターネットを利用すれば、全国、世界中に顧客がいます。
もっともっと福島を発信して、福島の元気を発信すること、福島の商品の良さを伝えること、福島に興味を持ってもらうこと。
それが福島のイメージを変えることに繋がり、福島のことを知りたいそう思ってくれる方が増えるように思います。
インターネットを使えば、早く、たくさんの人に広げられます。
主婦、事業者様、みんなの力を合わせて福島を発信していきませんか?
全力で私たち主婦も応援します!