子育てママが抱える孤独ともやもやの正体
私たち、子育て中の女性が抱えるもやもや、、
先日出演させていただいた、NHKスペシャルでも子育てママのもやもやを解消しよう!がテーマでした。
土曜9時にNHKスペシャルでこの内容を取り上げること自体が、とても意味があることだと思います。
孤独と表現されるもののこの正体は何なのか、私なりに考えてみました。
孤独の正体
子育ては孤独だ。。
初めての育児での私の感想はこれでした。想像していた子育てとは全く違っていました。
夜中、、いつまでも寝ないわが子を抱きながら、睡魔と身体の痛みの中そう思っていました。
私だけではなく、子育てママの孤独はよく耳にします。
この孤独を解消しようと、地域支援センターがあったり、行政でもイベントを開催し頑張っています。しかし、一向に孤独が解消されないのは、なぜか。。
私は、ママ達が感じている孤独の意味と、一般的に考える孤独の意味には違いがあるのでないかと思っています。
正に、その孤独の意味を掘り下げて、考え抜いたのが「こおりやま子育てバイブル」です。
独身時代の方が孤独?
本来、「孤独」という言葉だけの意味で行けば、独身の時の方がよっぽど孤独でした。
一人暮らし、毎日仕事。。
帰る部屋は暗く、電気をつけてコンビニで買った夕飯で簡単にすます。
電車に乗り、渋谷の道玄坂を上がりながら、自分が明日ここを通らなくても誰も気づかないんだろうな。。
そんな風に思っていました。
このころは、結婚したら幸せな生活が待っているんだろうな、、
そう夢見ていました。
本来、子育て中ママは大好きな人と結婚し、赤ちゃんも授かっている状態です。
そんなママは「孤独」ですか?
旦那さんも子供もいるのに??
同じ意味の孤独なのか?
そこで私は、独身時代の「孤独」と子育てママの「孤独」には違いがあるのではないか。
そんな風に考えました。
子育てママの「孤独」にはもっと別の意味があるのではないか。
その別の意味を考えず、そのままの意味の「孤独」を解消する対策しかしていないから、いつまで経ってもママの孤独が解消されないのではないだろうか。。
子育てママの「孤独」の意味
では子育てママが抱える「孤独」とは何だろうか。。
私は、子育ての責任を全部自分が負ってる感なんじゃないかなと思っています。
一人で責任を負うという孤独。
ママ達は、この小さな命を育てなければいけない。その責任を一人で背負いながら必死に育児をしています。
私も赤ちゃんが生きているか不安で、口に手をかざして息しているか何度も確認したものです。
この感覚はママであれば、めちゃくちゃ共感されます。
しかも、これが24時間、365日毎日続きます。
よく、ママ達に何がしたい?聞くと子供を預けて一人になりたい。
そう答えます。
その意味って、少しの時間でもいいからその責任から解放された時間が欲しい。
という意味なんじゃないかと思います。
私も子供と道路を歩くときは、いろんなことを意識します。
車は来ないか、後ろから自転車は来ないか、、いろんな想定をしながら歩いています。
一人で歩いている時とは、全く注意の向け方が違います。
家事や育児をしたくないわけではないのです、ただ、その責任が当たり前にママだけに押し付けられている感じが辛いし、それを孤独と感じるのではないだろうか。
隣に旦那がいるのにワンオペ
隣にはいるんです、でも同じ思いではないから、なんだか遠くに感じてしまう。
何が子育てで辛いですか?そう聞いたときにこう答えたママもいました。
ママ達はパパと子育てをしたいと思っています。
当たり前ですよね、だって好きで結婚して、その人の子供が欲しいって思った相手なんだもん。
でも、その1番わかって欲しい相手が、同じ気持ちでいてくれない。全部の責任が押し付けられている。
これがママの「孤独」の正体ではないかと感じています。
だから、その隣にいるパパにどうやったらママ達の本音を理解してもらえるのか。それを考えて「こおりやま子育てバイブル」を作りました。
もちろん、ママ同士で集まって相談したりするのは大事。
しかし、根本はそこなんだから、孤独はいつまで経っても解消されないですよね。
社会とつながっていない孤独
社会から切り離されている「孤独」もあります。
子育てママだけではなく、シニア層や障害を持った方もこういいます。
「社会」と繋がりたい。
どんな時でも、どんな状態でも社会やコミュニティに属し自分の役割があることで、自分の価値を見出すのが人間なんだと思いました。
仕事はその価値が給料という形で、返ってくるからわかりやすいですよね。
仕事ができない、、そうなった時に自分の価値を見出すことはとても難しいものだと実感しました。
人生お金だけではないけれど、労働し報酬として得るお金の価値は、ただの硬貨としての価値だけではないんだな。と感じます。
実力主義の世の中になっていくのは、自分が正当に評価される反面、こうした今の労働システムにそぐわない人達は価値が見えにくくなるのではないだろうか。
社会とは、いろんな人がいて構成されていくものです。
十人十色、それぞれの色があっていい。同じ色でなくてもいい。
そんな多様な価値観を認め合うことが、豊な社会の一歩だと思います。
だから私は、子育てしながら働ける、そんな仕組みを作りたいのです。
そんな仕組みさえできれば、シニア、障害あるなし、どんな時も社会と繋がる仕組みになると思います。
ママのもやもやの正体
ママが感じる「孤独」には、疎外感や虚無感そんないろんな感情が入り混じっている、だからもやもやという言葉にならない表現になるのではないだろうか。
ママ一人に責任を負わせない社会を作っていかないと、ママが潰れてしまう。。
私は本気でそんな社会を作っていこうと考えています。